いつだって、シンプルに

24歳。大学卒業後就職せずにフリーターしつつ、今後どんな生き方があるのかを日々考えてます。

ただただ信じる。それだけでいい。やれる、動ける、できるんだ。

 

なんかテーマだけ見たら、どこかの宗教に入ったような

気がしないでもないけど、笑

 

でもこれはどんなことにも、どんな人にも共通する大事なことだと思う。

 

人間だから、生まれるタイミングも違えば、環境も違うし、育つ環境、

仕事する環境も違う。それは間違いない。

 

だから、一人一人価値観が違うのは至極当たり前である。

 

でも、どんな人でも心のどこかに「自分を信じる心」を持つべきだと思う。

 

自分を信じられなくなったら、人生はどうしようもなく辛い。

1人でいる時間なんて、孤独だし、ネガティブになるし、自己嫌悪になるし。

 

誰かと離れた時間の寂しさほど辛いものはない。

 

自分が好きなら、こうはならない。

常に自分のことを信じているからこそ、無駄な心配や不安を抱かない。

常に誰かのことを思い、そのために行動し続けられる。

 

信じてあげよう。

 

簡単なことではないと思う。

決断する、覚悟を決めると言葉で言ったら簡単だけど、

そんな一瞬でできたら苦労しない。

こう考えている時点でそうなるということもあるだろうが。

 

だから少しずつ、信じてあげられたらと思う。

どうせこの自分で、この体で、顔で、心で生まれてきたんだから。

 

この一回きりしかいきられないんだから。

自分という人間でしかこの世界を味わうことができないのだから。

 

目一杯信じてあげればいい。目一杯大切にすればいい。

他の誰よりも自分のことを大切にする。

 

もちろん目的があったら、誰かの意見や言葉、考え、価値観をもらうことは大事だ。

 

でも、それはなりたい自分がその先にあるから、その手段としての考えかたを

自分が好きな人、尊敬できる人、たくさんの人から

届けてもらえる人間になれたらと思う。

 

 

信じてあげよう。

 

自分はできる。

自分ならできる。

やれるんだ。動けるんだ。できるんだ。

 

自分の可能性を過小評価しないこと。

可能性なんて、そんな曖昧なもの誰にもわかりっこない。

 

でも、信じてあげなかったら、限りなくその可能性は小さくなる。

可能性を小さくするのはいつだって自分自身だ。

 

信じてあげよう。見えない未来で不安で心配だけど、

可能性は自分の心の中に広がっていると信じて。

 

 

 

今できることが自分の全て。まずそれを受け入れること。

 

今やっていること、そのレベル、量とか色々ある。

 

それはそのまんま自分のレベルだと解釈する。

まずはそこから。

 

自分のレベルがどのくらいなのかをわからないと、まず話にならない。

そして大抵、自分のレベルを過剰に高いレベルに見誤っている人が多い。

 

自分の偏見まみれのイメージの中で、勝手にできるものだと解釈されている。

 

 

 

だが実際はそんなに甘くない。

 

いざ、初めてみたら、

何も知らない、何もできない、やる気すら起きない。そんな自分と対面することになる。

誰しも、「かっこ悪い自分」と向き合いたくないだろう。

だからこそ、すぐに辞めたくなる、投げ出したくなる、

その世界には絶望という二文字が延々と広がっているからだ。

 

 

でも、そこで逃げたらそれまでだ。

その世界で生きるすべを身につけることなく、去ることになる。

 

もちろん他の世界を見つけて、そこで努力すれば、そこで生活していけるだろう。

 

でも、せっかく始めたものを、できないからだ、むずかしいからだ 、俺には才能がない、時間がないだなんだの言い訳のオンパレードで終了させていいものか。

 

そうはしたくない。どうせなら傷跡くらい残したい。

何もできずに立ち去るなんてまっぴらごめんだ。

 

だから、食らいつく。

貪欲なのか、必死なのか、1つの執念なのかわからないけどしがみつく。

 

そうすると、1つずつ分からないことがわかるようになっていく。

自分の頭の中に落とし込まれていく。

理解が進み、次の疑問が浮かぶ。

 

せっかくいい気分だったのに、次の問題がすぐさま出てきて、気が休まる暇もない。

 

でも、なんだか気分が高揚する。

できないをできるに変えれるワクワク感は誰にも奪われない。

自分の特権とも言える感情だ。

そんな感情を手に入れることができるのは、絶望を受け入れ、しがみつく覚悟をしたものだけなんだ。

 

 

 

暗闇の中で頑張り続けるのは怖い。勇気がいる。根性がいる。覚悟がいる。

最初はしんどい。間違いなく。例外なく。

 

いつでも逃げ出したいなと思う。でも先にあるワクワクを自ら手放したくもない。

だから、必死で掴みに行こう。自分だけの宝物を。

ワクワクという心の宝物を。

 

 

今できなくてもいい。できなくて落ち込んでも、立ち止まってもいい。

でも、その先に足を踏み入れたものだけがわかる世界もある。光がある。

みたいなら、その先の暗闇に足を踏み入れること。

一歩ずつでいい。怖くてもいい。でも歩みを止めるな。

 

その一歩は必ず力になる。そして報われる時が来る。

 

 

戸惑いこそ人生なんて、よく言ったものだ。

 

あなたはどんな道を走っているだろうか。

 

生きるということは自分で自分の道を作るということだ。

自分のレールで自分で作るみたいな言葉を

どっかで耳にしたことがあるけど、それは誰に対しても言えることだと思う。

 

レールを作り、その上を走る。

そのレールはどこに向かっているのか?
自分の行きたい場所に向かっているのか?
そのペースで走っていて間に合うのか?

 

常に自問自答しながら走っている。

正直、自分の行きたい未来はどこかわからないし、

このペースでどこかみたい景色が見られるかと言ったら、

多分見られない。見られたら多分それは偶然の産物だ。

 

偶然で見つけるのも、面白いかもしれない。

でも今はそんな行き当たりばったりの人生は求めていない。

 

自分が見たい景色がある。そしてそれに向かって全速力で走っていく。

自分でレールを組み立て、その上を全力で走り抜ける。

そんな日々が自分にとって「生きている」を実感できる時間なんだと思う。

 

 

目的を持とう。目的のないアクションはただの作業だ。

目的が入った瞬間に、心が入る。工夫が生まれる。

個性が生まれる。その人だけの時間がそこにはある。

 

同じ絵を描いていても、自分が納得すればいいのか、誰かに喜んでもらうためかで

描きかたは全く変わってくる。

 

目的ってなんだろう。

目の的?漢字だとよくわかんない。

 

多分だけど、「楽しいから」っていうことに最終的にたどり着くと思う。

どんな綺麗な言葉を並べても、壮大な志を掲げても、最終的にたどり着くのは

自分自身の心のためなんだと思う。

 

仕事もそう、趣味もそう、恋愛もそう。

自分が楽しいから、嬉しいから、幸せと感じられるから、

だから、頑張れることがあるんだと思う。

 

大志を抱くのは周りから見たらカッコ良くうつるかもしれない。

でも、そんなに声を大きくして叫ばなくても、夢中になって何かに向き合う姿は

必ず誰かの心に届く。

 

心が動いている人を見ると、人は心が動かされるものだ。

 

必死になっている人を見ると、もっと頑張らなきゃって思う。

甲子園のハイライトなんて見たら、大変なことになる。

そりゃとてもじゃないが、涙がとまらない。

 

 

心の動きの大きさは、その人の熱量だ。

熱量が大きいほど、それは誰かの心に届き、動かし、その人のアクションを変える。

 

感動屋さんは最強だ。同じ物事でも受け取りかたが違う。

受け取りかたが変われば、アクションが変わる。

そのアクションが人の心を動かす。

 

感動屋さんが人の心を動かすんだ。

 

 

 

もちろん綺麗な感情だけではない。

悔しさ、憎しみ、不安、悲しみ、いろんな感情がある

 

 

表面に映る姿がどんなに明るく、快活であっても、多分その明るさの裏に

大きな大きな悔しさや不安があるんじゃないかと思ってしまう。

 

自分はそんな人間だ。

いつも不安で不安で仕方ないから、それを乗り越えようと必死で「かっこいい自分」を演じてみせる。

明るい自分、社交的な自分、ポジティブなエネルギーを出す自分。

 

 

これからは、その人の裏に隠された「そのひと」を見てあげられるようにしたい。

その行動の裏にどんな想いがあるのか?

どんなことを考えながら、毎日を生きているのか?

 

そんな、見えない世界、見えない部分を気にしてみたい。

余計なお世話かな?でも気になるんだ。自分がそんな人間だから。

自分の見えない自分がバレることはちょっと恥ずかしいけど、

そこを共有できる人とはこれからもずっと生きていきたい。

 

戸惑いも、不安も、悔しさも、その人を作る一要素だ。欠けたらその人にならない。

見えないその人も見えるその人も全部受け取れる自分でいられるように。

 

そうして自分というたった1人の人間も受け入れられるように。

 

過去はいいものだったけど、未来はいいものになるかもしれないということ

 

うまくいかないとき

自分の望んだ結果が得られないとき

誰かに批判されたとき

 

どうしても、先に進むのが怖くなってしまう。

その時に、これまでいきてきた自分までも否定しそうになる。

 

今がうまく行っているときは、過去があるから今の自分がある!って

胸を張って言えるのに、ちょっとうまくいかなくなってきたら、

以前もこんな感じだったから、これからもこんな感じだろうな

 

って自分勝手に可能性に蓋をしてしまう。

 

 

 

そんな勿体無いことある??

これからの自分は今の自分が作るものじゃん。

今の自分がどうするかで、これからをいくらでも自分の思った通りに

描いていけるから面白いんじゃん。

 

やめよう。可能性に蓋をするのは。

可能性なんてそんな曖昧なもの、そんな大きさ誰にもわかりっこない。

 

やめよう。自分を否定するのは。

誰かが必要なタイミングで言葉をくれるはずだから。

 

やめよう。過去を否定するのは。

これまで一瞬一瞬で頑張ってきたから、今の自分があるんだから。

 

 

未来はどうなるかわからない。

明るくなるかなんて誰にもわからない。

もしかしたら、自分じゃないとこ路の大きな変化に巻き込まれることも

あるかもしれない。

 

でも、自分ができることは必ずある。

今一歩踏み出せるはず。いや半歩でもいい、前傾姿勢を取るだけでもいい。

体を動かしてみる。景色が一ミリ変わる。

一ミリ先の景色が考えを変えてくれるかもしれない。

 

 

動こう。怖くても、不安でも、悔しくても、誰かを妬んでも、

それでもその感情と一緒に前に進もう。

 

未来はいいものになると信じよう。

どうせどうなるかなんて誰にもわかりっこない。

 

 

だから信じるんだ。信じて前に進むしかできないんだから。

 

 

運命は常に分かれ道。過去も大切だし、未来も大切。

 

人は生きている間、常に選択に迫られている。

 

常に自分が選択して生きている。常に自分が思った方向に進んでいる。

ただ、その方向があっているのか時々わからなくなる。

 

選択が間違っていると思うと、その選択をした自分自身を責め始めてしまう。

 

「なんであの時言われたことをやらなかったんだろう」

「なんであの時伝えたいことを伝えなかったのだろう」

「なんであの時もっと頑張れなかったんだろう」

 

わからないけど、どんな選択をしても、後悔がゼロになるということは

ないのかもしれない。後悔という感情からは逃げられないのかもしれない。

 

今まで、過去の失敗に気持ちを引っ張られることが何度もあった。

というか、今もあるし、これからもあるんだと思う。

 

でも、結局後悔の根っこにあるのはやらなかった後悔ばかりだった。

 

 

やらないから、過去の出来事が後悔となって一生残り続ける。

 

この感情はいつ消えるのかと思ったけど、ずっと消えることはなさそうだ。

 

だから、これからはこの気持ちも一緒に連れていくことにしようと思う。

後悔という過去の自分が生み出したものも、一緒に連れて、これから先も

生きていきたいと思う。

 

無駄な荷物なのかもしれない。必要のないものだし、

これが自分に意味のあるものなのかもわからないし、

いますぐにでも捨ててしまった方が自分にとって楽なのかもしれない。

 

 

過去を大切にするということは今まで自分がやってきたことから

目を逸らさないということ。今の自分という存在から目を背けないということ。

 

 

自分から目を背けていたら、偽りの自分のまま生きていくことになる。

こんな辛いことはない。

 

だったら、もういっそのこと未熟な過去の自分も一緒に連れていく。

一緒に未来の自分に会いにいく。その選択をし続ける。

 

過去にどれだけ悪くても、嫌なことがあっても、うまくいかなくても、

未来はいいものかもしれないから。

 

良くなると思ってたら良くなるなんて言うけど、わからないから。

だったら、良くなると信じて前に進んでいこうと思う。

 

過去の自分を大切にして、未来の自分に会いにいきたい。

常に心を動かす。誰かの心に何かを届けたいなら。

 

心が動いているか??

 

常にそのことを考えて生活すること。

朝起きた瞬間から夜寝る瞬間まで。

 

その中でどれだけ心震わす瞬間を手に入れられているか?

そんな瞬間を1日、一週間、一ヶ月、一年の中で

どれだけ経験できるだろうか??

 

出会えた数ほど、心が豊かになっていく。

そしてそれを人に伝えていく。

伝えている最中にまた思い出して、心が震える。

 

そうやって、常に心を忙しくしていきたい。

それが生きてるわって思えることだと思うから。

 

本を読んで知らなかったことがわかった瞬間

仕事の中でできないことができるにかわった瞬間

好きな人が自分に好きって言ってくれた瞬間

 

その瞬間に心は震える。言葉にできないし、お金で買えないものだ。

 

 

お金で買えない瞬間をこれからも大切にしていきたいし、

もっと経験していきたい。

そうやって生きていけることが今回の人間として生きる一生でやりたいことだ。

 

 

やるから変わる。やらないから変わらない。たったそれだけの話。

 

「なんでこんなにつまらないんだろう…」

「なんでこんなにうまくいかないんだろう…」

 

こうやってあてのない不安にさらされることが多い。今もそうである。

 

何のために生きているのかわからなくなる。

自分のため?人のため?家族のため?そうだっけか??

 

どうしたらいいかわからなくなる。

 

悩む。何も進まない。

 

こんな時がこれまで何回もあった。というか今もあるし、

これからもたくさん起きるかもしれない。

 

でも、1つ気づいたことがある。

もしかしたら、これが解決策かもなんて

ちょっとばかし期待をしている。

 

自分が悩む時って大概、

  1. 本質と外れた浅いところ!で悩んでいる
  2. 何も行動していない。つまり暇な状態。

であることがほとんど。

 

ってことはその状態の自分は、間違いなく、何もしていないニート状態であると

いうことが言える。

 

行動していないから、何も変わらないんだ。

 

めちゃくちゃ当たり前なことに気づいた。

そりゃ同じように過ごしてたら、同じようにしか時間は進まないからね。

 

やるしかない。やらないという選択肢はない。

やってもやらなくても大して変わらない。

 

心が貧しくなるか豊かになるかの違いだけだ。

ただ、この差はとてつもなく大きな差でもある。

 

心が成長することこそ、生きる意味だとするなら、

やるしかないんだ。

そして、どうせやるなら、思いっきりやったほうが楽しいに決まってる。

 

本気でやったら、何でも面白くなる。世の中にあるものなんて

そんな魅力的な物で溢れている。

 

本気でやろう、子供のように。

本気でやろう、明日の自分に誇れるように。

 

そんな毎日が送れたら、幸せなんだろう。