自分が成長するために時間を使いたかった。それだけの理由
こんにちは!
最近、仕事との関わり方について考えることが多くなったわけですが、
ぼくが大学生の時の企業を選ぶ基準っていうのが
「自分が成長できる環境で過ごしたい」
ということだったんですよね。
ただ、社会にある仕事は自分が成長するために用意されているわけではなくて、誰かに喜んでもらうためにあります。だから、そもそも、自分が成長する手段として仕事を選ぶこと自体がそもそも違うのかなと思うようになりました。
成長は後追いであるということ
でも、冷静に考えてみたら、自分が学生時代に野球を15年間やったのも、もともと「成長したいから」始めたわけではないし、最後まで「成長したいからやり続けた」というわけではなかったんですよね。
結局のところ、自分が好きなもので負けたくないということと、同じ目標を目指す仲間と主にチャレンジすることの面白さを感じていたからこそ、15年間もやり続けたし、その中で成長を感じることができたということになります。
だから、成長っていうのは「したい」と思うものよりかは
「いつの間にか成長していた」という感覚の方が自分としては近いのかなと思うようになりました。
でも、この感覚って結局のところやり続けた人にしかわからない感覚なんですよね。
「好きだからやり続ける場合」もあるだろうし、「なんとなく面白いから続けてみた」ということもあるだろうし。
気持ちの強い弱いはあれど、熱量の違いはあれど、続けてきたからこそ、感じられることというか、気づけることってあると思うんですよね。それに気づけた時が成長を感じられる瞬間なのかなって思います。
野球を15年間やっていて、改めて感じること。
学生時代に野球を15年間やっていたので、野球に対する思いはそこらの一般人よりかははるかに強いです。野球を職業にして人生を過ごして行きたいと思っていたときもありました。
ただ、現実はそうはなりませんでした。自分の実力不足であったりとか、怪我による影響であったりとかして、その目標は諦めることにしました。
今思うと、夢を諦める瞬間って、ふと気づくような感じなのかなって思いました。
心が折れてというよりかは静かに悟るというような感じがして。
でも、だからと言って、野球への熱が冷めることはありませんでした。
結局、野球が好きという思いは変わらずにずっと続けることができました。
うまくなりたいという思いはもちろんありました。でもそれよりも、野球を通して、仲間と一緒に時間を過ごせることが何より自分にとって大切だったんだ。って思います。
成長を感じられるのは、思っているよりもずっと後だ。
正直、学生時代に野球以外にも勉強とか別の分野のことに取り組んでいたら、いまの自分の選択肢がもっと広がっていたのかもしれません。それは「たられば」でしか言えないのですが、でも僕は野球だけに集中することのできた学生時代でよかったなと思っています。
その時間があったからこそ、
「周りにいる人たちへの感謝」であったり、
「1つのことをやり続けることの面白さ」
を知ることができたと思っています。
1つのことをやり続けるのはなかなか難しいです。
それを自分一人でやろうとすると、どうしても気分が乗らないときとかも絶対にあります。気分が乗らないときとか、体調が悪いときとか、時間が足りなく感じてしまうことは必ずあります。
その時は、別に無理に取り組む必要はないのかなと思っています。そして、そのできなかった自分を責める必要もないと思います。
自分を責めなくても、適切なタイミングで誰かが必ずアドバイスをくれると思います。
だからこそ、気にしなくていいです。自分は自分がどうすべきかだけ考えておけばいいと思います。
やり続けた後に、自分だけが感じられるものがあります。それを感じられるのは、やり続けた人だけが感じられる特権です。
僕もこれからもこのブログを書き続けて行きたいと思います。
一年後、2年後に、自分が成長したことを感じられると信じて。