後になって気づける幸せは、自分にとって最高だと思う。
最近、槇原敬之さんの「僕が一番欲しかったもの」という曲を聴いて、感じたことです。
幸せを感じられるのは、
- お金があって、不自由なく暮らすことができている
- 好きなことを仕事にして、日々充実した時間を過ごせている。
これだけではないということを改めて感じることが出来ました。
幸せってその瞬間に感じるものだとずっと思っていた
今まで僕の頭の中にあった幸せを感じることとして
- 自分が大事にしている友達と好きなお酒や食事を共にしている時
- 仕事でうまくいった時
- ひとりでのんびりと本を読んでいる時
とかだったが、これらは「それらをしている時」に感じるものでした。
だから、よく言えば、幸せを噛み締めながらその時間を過ごしているという風にもいえます。
ただ、最近気づいた幸せの感じ方はこれらとは異なるものでした。
何かに没頭している時間は、後から振り返って大切なものだったと気づいた。
ぼくは中学から大学まで野球を10年間、部活動で過ごしてきました。
特に大学の時には、野球で何としても結果を出したい、結果を出して職業として野球とか変わっていきたいと思っていたので、大学生活は野球を中心に回していたといっても過言ではなかった。
授業も寝てばかりで、いかに楽な授業を取れるかを友達いと話し合ったし、サークル活動で
楽しむ友達を「いいなあ」とか思いながらも野球に没頭した4年間でした。
ただ、部活動を終えて就職せずに卒業した後は、
「もっと部活動以外にもできることがあったんじゃないか?」とか
「勉強したり、アルバイトしたり、他に経験できることもあったかも」とか
考えてしまい、野球しかやってこなかった自分が情けないなと思う時がありました。
でも、ある時にそれを話した相手の人から
「何か1つのことに熱中できる時間があるってすごいことだと思うよ」っていってくれたのを
今でもしっかりと覚えています。
言われた当時はその意味をあまり深くは感じませんでした。
1つの競技をここまで継続してきた人もなかなかいないから、それはそれで貴重な経験だったかなーと多少考え方が変わるくらいでした。
でも、最近になって思うことは、そうやって熱中できた時間ってすごく自分の中では大事なものだったんだと感じることが出来るようになりました。
自分の好きなことに没頭できた時間は、その後もずっと支えてくれる。
時々、うまくいかないことがあると
「才能がないから俺にはできない」とか
「俺にはこの仕事は向いていないのかも」
と考えてしまうことがよくあります。
ただそんな時でも、「俺はあの時以上に努力をしているのか?」と自分に問いかけてみると、
いや、まだ俺にはできることがあると考えて、そこから行動することができます。
だから、過去に頑張った経験は、たとえそれがうまくいかなかったとしても
その先もずっと自分の挑戦を支えてくれるものになってくれると信じています。
今振り返れば、そんな時間を大学生の頃に得ることができたのは自分にとってすごく幸せなことだと
思えます。
だから、今は今できること、目の前にあることに全力で向かっていけることを幸せに感じながら過ごして行きたいし、そんな時間が将来振り返った時に自分の支えになってくれるものだと信じています。